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海外ドライブ旅行

「一度アウトバーンを走ってみたい。」一体いつ頃からそんな思いが生まれたのか?・・・国産車からBMWに乗り換えた頃からかもしれない。こんな車を作った国を一度見てみたい、できれば自分自身の手で車を運転し、じかにその国の風土に触れてみたいと思い始めたことが発端かもしれない。
その思いとは裏腹に震災などもあり計画中断を余儀なくされた時期もあったが、今度こそ現実の姿となった。

4月某日 神戸 曇り

ドライブ虎の巻
ドライブ虎の巻

いよいよ出発の日が迫ってきた。ほぼ20年ぶりの海外旅行で且つ欧州は初めてということもあって、パスポートの取得から始まり国際運転免許証の申請、ホテル・航空便の予約、これらに加えてドイツで運転するための道交法の基礎知識の習得など一連の準備作業を何とかこなしてきた。

旅行の構想から始まって休日には何らかの準備作業に時間を費やし、この1年が過ぎたような気がする。

出発の半年前には準備作業スケジュール表を作成した。準備の必要な項目を仔細に洗い出し進捗状況をチェックした。やるべきことの「見える化」には威力を発揮した、と同時に旅行のカウントダウンも始まり自然と期待感も高まってくる。
ただ、最後まで決められなかったのが肝心のレンタカー。調べてみると会社によって価格に大きな差があった。インターネットをみるとSixt、Europcarというような日本では馴染みの薄いところもあった。選択肢として興味もあったが最終的に日本にも代理店があるAvisに決定。オートマチック車は1ランク上の扱いとなり割高ということもあって、こちらは思い切ってマニュアル車を選択した。
ということで30数年ぶりのマニュアル車を左ハンドルで、しかも初めて訪れるドイツの道交法に則って運転しドライブ旅行を展開することになる。

このような選択肢に対して我ながら少し無謀な感もあった。そんな訳でもないが、通常の保険の他にSuper CDW(免責軽減制度)とPAI(搭乗者傷害保険)を付加することにした。ちなみにナビゲーターとしての重責を担うヨメさんとの二人旅となる。

これで準備万端整い、後は出発日を迎えるのみと思っていたところ、出発2日前にして風邪を引いてしまう。結局、準備作業のなかで一番難しかったのは健康管理という結果になってしまった。

5月2日(火)

【行程;関空(雨)⇒(空路)⇒フランクフルト・マイン国際空港⇒(空路)⇒シュトゥットガルト(晴れ)】

出発当日。今日から11日間のドイツ旅行が始まる。関空の朝は5月にしては寒い。
風邪の具合は変わらず飛行機の中では耳が痛くて困った。鼻水も流れ落ちる。鼻を啜るのは欧米では嫌がられると聞いていたが既にお構いなしの状態。

飛行機もW杯歓迎ムード
飛行機もW杯歓迎ムード

フランクフルトから国内線に乗換えシュトゥットガルトに無事到着。夕方のはずなのに異常に陽が高い。なかなか出て来ないので気をもんでいたスーツケースも、最後に出てきてほっと一息。タクシーで市内へ向かう。当たり前のことだが左ハンドル右側通行。異国にきた実感がわく。市内に向かう一般道は高速道路と見紛うほど。当然走行する速度も速い。ほどなく坂道を下るようにして、すり鉢状の地形の下に拡がるシュトゥットガルトの市街地へと下りてゆく。道の両側に石造りの街並みが続くようになると、今度は一転して道幅狭く路上駐車の波、交通量も多く雑然としている。
はたして微熱の残るこの身体で、本当に明日からこんな道を相手にドライブ旅行ができるのだろうか・・・悩ましい一夜を過ごすことになりそうな予感。

到着して真っ先にすることと決めていた地図を購入。ADAC(ドイツ自動車クラブ)のドイツ全土地図(Deutschland/Europa ADAC Reise Atlas 1/20万)を選んだ。

三種の神器
三種の神器

内容はかなり細かい。小さな町の地名まで記載してある。見るからに几帳面そうなドイツ人気質を感じる。地図のうえには10km平方の升目が引いてあり、凡その距離をみるのにも便利そう。ただ、一方では凡例などの分類も細かくその情報量も多いせいか、ゴチャゴチャして見づらい面もある。老眼が進んできた眼にはちょっと辛い。
最善と思うものには妥協を許さない徹底ぶりと頑固さも垣間見える地図でもある。
明日からはこの地図とハンディGPS(Garmin社eTrex LegendC)、それにコンパスの3種の神器を頼りに、初めて訪れたドイツの地を走り回ることになる。

5月3日(水)晴れ

【行程;シュトゥットガルト⇒黒い森地区(グータッハ・ブライバッハ)】

今朝は深夜2:30頃に一度目が覚めた。時差ぼけのせいか、いよいよ今日から始まる待ちに待ったドライブ旅行への武者震い(?)か、いやいや、それにも増してやはり不安に駆られ思わず目が覚めてしまったというところだろう。 朝起きて朝食へ。ビュッフェ方式だが品数の多さには目を見張るものがある。(この後、他のホテルにも何泊かすることになるが、ここGraf Zeppelin/Stuttgartが一番充実していたのかもしれない。)
ただこの日記はドライブに関することに絞りたい。ドイツをドライブして見聞きしたこと、感じたことを中心に綴ってゆきたい。

ベンツ博物館への途中、シュトゥットガルト市内
ベンツ博物館への途中、シュトゥットガルト市内

レンタカーの契約は円建て前払いとした。既に基本料金は支払い済みだったが、今日のチェックアウトでは現地契約となっていたスーパーCDWとPAIの手続きをした。少し戸惑ったが手続きも無事完了し車のキーを受け取り、指定された地下の駐車場へ向かう。手続きカウンターからは駅構内を通り抜け200m程度はあった。結構遠い。

駐車場の入口ドアを重いスーツケース片手に開けようとしていたら、サラリーマン風の男性が駆け寄ってくれて、思いもかけず扉を押し開き支えてくれた。ドイツ人は無愛想で無関心な人が多いというイメージがあったがそうではない様子。6月のサッカーW杯を意識した一時的なフレンドリーな振る舞いとも見えず、不安なドライブ旅行を前に一筋の光りがさしたような安堵感を覚える。
困った時には援助の手を差し伸べてくれる人がきっと現れるんだ、と思えるような心強い出来事となった。
駐車場の一角に7日間行動を共にするOpel Astraを見つける。

ドイツをドライブするという漠然とした思いが、遂に現実の姿かたちを伴って目の前に忽然と現れた瞬間でもある。エンジンを始動しサイドブレーキをリリース、徐々にクラッチを繋いでゆく時、これから始まるドライブ旅行への不安と期待の入り混じった、あの筆舌に尽くしがたい気持ち。ままよとばかりに、清水の舞台から飛び降りるようなあの気持ちは今でも忘れられない。

走行距離5,000km、ほとんど新車
走行距離5,000km、ほとんど新車

追)クラッチを繋いだとたんにエンスト。やはり1500ccではトルクが細い?
その後走り出してしばらくはとてもとても、滑るように車を駆っているとはお世辞にも言えない状態。無我夢中で操作するギアシフトのたびに助手席に陣取るナビゲーター氏の後頭部が繰り返しヘッドレストに打付けられていた。

5月4日(木)晴れ

【行程;黒い森地区(グータッハ・ブライバッハ)⇒ホーエンツォレルン城⇒フリードリヒスハーフェン(ボーデン湖畔)】

郊外でのドライブを基礎編とすれば、市街地でのドライブは応用編と言える。
レンタカーを都市部の駅前からスタートさせれば、いきなり応用編のドライブが始まることとなる。そう考えると少しは郊外に位置する空港からスタートした方が良かったのではないかとも思う。しかし今日はのどかな田舎からのスタート、2日目ということもあり車の操作にも少し慣れ緊張感も和らぐ。ただ、なかなか慣れないのは右側通行。咄嗟のときにはどうしても左側に除けてしまう。身体に染み込んだ感覚は一朝一夕には切り替わらないようだ。用心、用心。

昨日、初めて走ったアウトバーンは交通量も多く流れも速い。道幅は日本より若干広いようにも感じたが車も多車線規制をしているところでは渋滞もあり、日本の高速道路とあまり変わらない感じ。しかし、アウトバーンはドイツを代表する高速道路、とはいえ見渡す限り牧草地といったなかにガードレールすら設置されていないところもあり、一方ではお国柄の違いも感じる。

アウトバーンA8号線西行車線、シュトゥットガルト付近
アウトバーンA8号線西行車線、シュトゥットガルト付近

片側3車線の場合、最右車線の走行車線は大型トラックにほぼ占領されている。
従って乗用車は中央車線と最左車線である追越車線を走行している。

各レーンの走行速度はざっと見た感じトラック軍団は90〜100km/h、乗用車の走行レーンで130〜140km/h、追越車線で160〜180km/hか。しかし、時々追越車線で見かけたポルシェに至っては瞬時に後姿となって目の前から遠ざかって行く。一方、速度制限の標識が目に入るや否や直ちに減速していることも確か。規則をよく守りメリハリをつけた運転で、スピードの怖さと罰金の恐さ(?)を知っている大人の社会を感じる。

また、走っている車は全体的にキビキビとした印象があり、日本のように我関せずマイペースといった車は見あたらない。皆、車の流れに乗り統制の取れた走りをしている感がある。それは流れも速いので一瞬のミスが原因で事故を誘発する危険性があることは言うに及ばず、実際に走ってみて日本とは数段緊張感のある、甘えの許されない運転を強いられる雰囲気があるからと考えるのは私だけか?
加えて、アウトバーンではもう少しパワーのある車でないと追越車線デビューは覚束ないことも痛感した。

5月5日(金)晴れ

【行程;黒い森地区(グータッハ・ブライバッハ)⇒ホーエンツォレルン城⇒フリードリヒスハーフェン(ボーデン湖畔)】

よほど普段の行いが良いせいか(?)ドイツに来てから連日快晴、温暖な日が続く。この異常気象も手伝って風邪の方も大分ましになってきた。

ドイツの道交法によると郊外の一般道の制限速度はなんと100km/hとなっている。ほんまかいなと思っていたが、実際に走ってみるとすぐに疑問は氷解した。
ドイツ人の心のふるさとと云われている黒い森地区(シュバルツバルト)は山全体に木々が生い茂り、どちらかといえば日本の田舎に行けばどこにでもあるような、なつかしい風景に映った。

広々とした風景が拡がる、ROTTWEIL南東付近
広々とした風景が拡がる、ROTTWEIL南東付近

ただ、この懐かしい風景は長続きせずドイツの支配的な風景といえば、木があまり生えていないなだらかな丘と広々とした草原が広がる平面的な国土と目に映った。その中に直線的な道路が配置されている。その直線的な道路が主要道路でなければ、交通量も少なく対向車もほとんど来ない、また民家もなければ人影もほとんど見えない。道路周辺の安全確認が容易となればこれはもう100Km/hでかっとばすしかない。

フュッセンへの道すがら後方から一台のベンツが迫ってきた。
巡航速度90Km/h以上の決して遅くはないと思う速度で走っていたが、すんなり追い越されてしまった。見ればドライバーは高齢(?)いや妙齢のご婦人だった。

ついついスピードが出てしまうフュッセン手前
ついついスピードが出てしまうフュッセン手前
Weissensee湖畔の下り坂

スピードを出さないことが安全であると画一的に教育されるどこかの国と違い、自己責任で安全と判断すれば、これまた自己責任でスピードを出すという合理主義的大人の社会をここでも感じた。

しかしながら過ぎたるは及ばざるが如しで、ドイツでもスピードの出し過ぎが社会問題となっていると聞いた。
法を犯すことなく100km/hで走行できることは大変有り難いことだと思うのだが、たまたま見かけたネズミ捕りで捕まっている人をみると、お国柄というか身体に染み込んだスピード感が違うということをまざまざと思い知らされる。

5月6日(土)雨のち晴れ

【行程;フュッセン⇒ガルミッシュ・パルテンキルヒェン⇒エタ-ル⇒シュバンガウ⇒フュッセン】

今日はノイシュバンシュタイン城、リンダーホフ城、ヴィース教会などロマンチック街道定番の観光ルートを周遊する。

ガルミッシュ・パルテンキルヒェンへは国境を越えオーストリア側からアプローチする。 フュッセンを出発してほどなく国境にさしかかる。そこには国境を示す看板が建っているだけだ。まるで日本の県境程度の様相。EU加盟国であればパスポートの提示もない。

ここでまさにゲルマン民族系と思しきオジサンとの予期せぬ遭遇と相成った。先行車が急に側道で止まったので検閲でもあるのかなと思い続いて停車。するとオジサンが車の窓から身を乗り出してこちらに向かって盛んに叫んでいる。 何か気に障ることでもしでかしたのかと思い、こちらも窓を開けると「リヒト!リヒト!」と叫んでいる。何のことやらさっぱり解らずポカンとしていると、今度は車を降りてこちらに向かって来るではないか!思わず身構えていると運転席側のドアをいきなり開けられライトのスイッチを点灯された。どうもライト(Licht)を点けろと云いたかったらしい。

伝えたいことを伝え自分の義務を果たしたのか、悠然と自分の車に戻ってゆくオジサンの後ろ姿を見送った。
その後小雨のそぼ降るオーストリアの山道を走りながら対向車を見ると、確かに昼間でもライトを点けて走っている。
あのリヒトのオジサン、恐い顔をして近づいてきたので鬼気迫る思いをしたが、思い返えせば本当は親切なオジサンだったということか。

オーストリアの山並み
オーストリアの山並み

追)後日「地球の歩き方+1 ヨーロッパ・ドライブ旅行/ダイヤモンド社」をみると「雨の日はヘッドライトを点ける。」とある。やはり法令化された遵守すべきことのようだ。
また、このガイドブックには事故が起きたときの処置として救助作業への協力義務があることが謳われている。仮に救助作業に協力しなかった場合、罪に問われることもある。
このような法的背景もあり、見てみぬ振りはできない(?)意識が徹底されている・・・らしい。ただ、あのオジサンが注意してくれたのは彼自身の好意によるものと信じたい。
ガルミッシュ・パルテンキルヒェン市街
ガルミッシュ・パルテンキルヒェン市街

5月7日(日)晴れ

【行程;フュッセン⇒ネルトリンゲン⇒(ロマンチック街道)⇒ローテンブルク⇒(古城街道)⇒ニュルンベルク】

今日は比較的長距離の移動となる。日曜日の朝ということもあってアウトバーンの交通量も少なく、大型トラックもあまり走っていない。昨日オーストリア国境付近でライト点灯を注意されたこともあって、アウトバーンを走る車を気をつけてよく見ると、雨天でもないのにライトを点けて走っている車がいる。特に追越車線を高速で走ってくる車など点灯している。日本でも二輪車が点灯しているが、確かに遥か後方から迫ってくるときでも視認性は良いようだ。
法令にはないが所謂マナーというか、慣習的に自己防衛のため点灯しているのだろうか?

A7号線を北上。直線、緩やかな下り坂、交通量も少ないという条件も重なって、いつの間にかだんだんと加速してゆき、気が付けばアクセルは床にベタ付きとなっていた。しかし1500ccの排気量では悲しいかな195km/hが限界。日本では車の流れも違い、もちろん法にも触れるため、出せない速度だがアウトバーンを移動する時、巡航速度、快適性、安全性などは、まさしくその車の持つ性能によって決定されることを実感。

ディンケルスビュール遠景
ディンケルスビュール遠景

A7号線を下りて一般道をネルトリンゲンへ向かう。
ドイツへ来る前に不安に思ったもののひとつにロータリー式交差点(ラウンドアバウト)がある。日本ではあまりお目にかかれないのでなかなか実践練習ができないが、ドイツで実際に走ってみるとロータリーは街中や交通量の多い交差点にはほとんど無く、逆に田舎道ではお目にかかる機会が多かった。

交通量も少ないことから進入してくる車も少ないが、徐行せざるを得ない曲率からかドライバーは速度を落とし慎重に運転している。実際に走ってみて不安が杞憂に終わったことを感じた。

考えるに、これがロータリーではなく信号のある交差点だとしたら、もちろん運用するための電気代もさることながら、交差する道路に1台の車の往来がなくても赤信号であれば信号が変わるまで、ただひたすら待ち続けなければならない。また4差路以上の放射状交差点となった場合、信号制御も煩雑となる。
日本の国土、国民性にマッチするかどうか解らないがロータリー式交差点は合理的なシステムといえるのかもしれない。

ローテンブルクの城壁と家並み
ローテンブルクの城壁と家並み

5月8日(月)晴れ

【行程;ニュルンベルク⇒(DB)⇒バンベルク⇒(DB)⇒ニュルンベルク】

今日は鉄道の旅もしてみたいということでドライブはお休みに。運転の緊張感からも解放される。 ICE(Inter City Express)に乗って世界遺産の街バンベルクへ。

ICEの車窓を流れる景色を眺めていると、やや距離をおいて鉄道と並行してアウトバーンらしき道路を車が疾走している。ICEと並走している車も見受けられる、ということは巡航速度200km/h以上!で走っていることは容易に想像できる。日本の新幹線の車窓からは見ることのできない、これはこれでドイツらしいといえばドイツらしい景色といえる。

バンベルク旧市庁舎
バンベルク旧市庁舎

閑話休題。
DB(Deutsche Bahn/ドイツの鉄道)を利用して思ったこと。

1)自転車専用車両があり駅のホーム上を自転車を押して歩く人がいる。
2)ホーム上のごみ箱は環境先進国らしく分別がしっかりしており、デザインも合理的。
欧州では環境保護の目的で乗用車ごと運ぶ列車もあり、自転車専用車両とホーム上のごみ箱はお国柄を象徴している。

電車&自転車の旅も悪くない
電車&自転車の旅も悪くない?

自転車は怖い。
ニュルンベルクの駅前の歩道に信号待ちで突っ立っていたら、危うく自転車にはねられそうになった。ドイツでは車も速いが自転車も速い。

はねられても自転車専用道のうえであれば、おそらくドイツの規則が曲がらないかぎり旗色は悪い。いかに街中とはいえ景色に見とれているばかりでは危ない。常に自分自身の立っているところを認識しておく必要がある。車を下りて街を散策するときでも気が休まらない。ドイツは疲れる国だ。

白線の内側は自転車専用、ニュルンベルク駅前
白線の内側は自転車専用、ニュルンベルク駅前

メカニカルなトイレの話

話は遡るがボーデン湖畔の町コンスタンツでタンクシュテレ(ガソリンスタンド)に入った。腹具合が思わしくなくトイレを借用。鍵を受け取り店の裏へ。用済み後、水を流すとなんと!便座が回るではないか。もう少し順を追って詳しく説明すると

超図解!これがメカトイレだ
超図解!これがメカトイレだ

  1. 便器の背面にある貯水タンクの右上角の部分にあるフラッシングボタンを押す。 (日本のようにレバーが付いている訳でもなく初めはどこにあるのか解らなかった。このボタンの形状と配置だけでも驚きに値する。)
  2. 貯水タンク下部中央付近からL字状の腕が下りてきてO型便座を上から押さえる。
  3. 便座が水平面を保ったまま便器のうえで廻り出す。(確か左回りだった。)
  4. 便座が回ると同時にL字状の腕の下端からポタポタと水がしみ出し便器のなかに流れ落ちる。(便座の着座面を水拭きしている様子)
  5. 便座が一回転すると何事もなかったかのようにL字状の腕は元の位置に格納され一連の動作が完了する。
    精巧な、からくり人形を思わせるような一点の淀みもない流れるような動き。あの楕円形の物体が優雅に廻る姿に思わず見とれてしまった。
    科学・工業立国であるドイツの技術を駆使し、且つきれい好きのドイツ人気質を満足させるとこうなるのかという見本。
    その後、この便器には二度と巡り会うことはなかった。このタンクシュテレはライヒャナウ島からマイナウ島へショートカットする山越えの道(Wollmatingen地区)の途中にあるARALだったと記憶している。機会があればもう一度訪れてみたい場所のひとつである
ライヒャナウ島へ渡る道
ライヒャナウ島へ渡る道

5月9日(火)晴れのち曇り

【行程;ニュルンベルク⇒ダッハウ⇒ミュンヘン】

いよいよ今日はレンタカー移動の最終日。ミュンヘンを目指す。
今回チェックアウトはシュトゥットガルト、チェックインはミュンヘンのワンウェイレンタルとした。ドイツ国内であればどこでチェックインしても乗捨て料は掛からないらしい。
A9号線を南下し途中でミュンヘン近郊のダッハウ強制収容所を見学する。これも気ままに車で移動する自由旅行ならではの観光ルート。

チェックアウトの時と同様、チェックイン時も雑然とした駅前まで辿り着く必要がある。 ミュンヘン市内の道は狭く路上駐車の波、また車も多くところどころ渋滞している。ここも市街地が中世のままに保存されている弊害か?
[Zentrum]の標識を見落とさないように慎重に運転するが、なかなか一筋縄ではゆかない。

労働だけが自由をもたらす
労働だけが自由をもたらす

曲がるべき交差点を一度でも見逃してしまうと軌道修正のために迂回を余儀なくされる。これを何度か繰り返すともうどこを走っているのか、わけが解らなくなってしまう。 街中から郊外に出るよりも郊外から街中の中心部にピンポイントで到達する方が数段難しい。最も緊張を強いられる最後のドライブ。

ミュニヘン中央駅
ミュニヘン中央駅

やっとの思いで駅前に駐車スペースを発見、車を滑り込ませる。ミュンヘン駅2階にあるAvisのカウンターへ。

チェックインはあっけなく完了。車の状態も確認しない。当て傷などあればきっと後から請求書が送られてくるのかもしれない。

最後に指示された地下駐車場の所定のエリアをこれまた、やっとの思いで探し当て車を止める。ひとまずレンタカーでの旅は無事終了。
無違反であったかどうかは定かではないが、無事故で1,550kmを走破!
あれだけ不安と期待の交錯したレンタカーの旅も、終わってみるとあっけない。

ここでレンタカーでの旅を総括すると

アウトバーンはいくら走ってもタダ。日本のように高速道路代は掛からない。しかし近い将来、環境保護、道路維持管理費捻出のため段階的に有料となる可能性があると聞いた。

ドイツ旅行も長いようで後3日を残すのみとなった。

5月10日(水)曇りのち晴れ

【行程;ミュンヘン市内】

ミュンヘン市内の中心地あたりは、一方通行も多く自分で走るとなると相当に手ごわい感じ。街歩きをするときでさえ小さな路地が多く、危うく迷いそうになる。ここでもハンディGPSが役に立った。

それにしてもミュンヘンを走っている車のほとんどが新しくきれいなものばかり。
ただ、旧東独圏或いはポーランド、イタリアあたりに行けば事情も違ってくるのだろうか。また所得水準の違いも大いにあるのかとも思うがベンツ、BMWなど日本では高級輸入車だがドイツでは国産車。販売価格もかなり違うのだろう。

今日はドイツ博物館に行った。
自然科学・工業技術の世界最大級の博物館とは聞いていたが、やはり航空機部門の充実には目を見張るものがある。この博物館の説明をするときりがないのでやめておくが、ひとつだけ印象に残ったことを記載する。それは鉱山部門の展示。

子供の頃プラモデルで作った戦闘機
子供の頃プラモデルで作った戦闘機

入口は地下室に入るが如く階段を下りるようになっていて直ぐに坑道のような薄暗い通路へと変わる。地下の採掘場が再現されており随所に掘削機、ショベル・ローダーなどの実機が展示されている。
しかし問題はこの坑道が迷路のように延々と続いており、見飽きたからといって途中でパスできるような抜け道が見あたらないということ。非常時にはどうするのかとも思ったが、仕方がないので戒壇巡りのような坑道を最後まで歩ききった。15〜20分は掛かっただろうか、ゆうに1km以上はある。

ドイツ博物館前のイーザル川
ドイツ博物館前のイーザル川

ドイツ人の徹底ぶりは良く解っていたつもりだったが、今回ばかりはいやと言うほど思い知らされた。
ドイツ車もまた、工業製品のひとつとして「最善か、無か」で代表される妥協を許さない徹底した設計思想と生産技術で生み出され、アウトバーンで鍛えられながらマシンとしての完成度を高めていったのだろう。

5月11日(木)晴れ

【行程;ミュンヘン市内⇒ニンフェンブルク城⇒ミュンヘン市内】

朝晩はひんやりと少し肌寒いが、昼間は暖かく湿度も低く快適な日が続く。
ミュンヘンに到着してすぐにBMW博物館へ行ったがオリンピック公園内の仮設展示場。そういえばシュトゥットガルトのベンツ博物館も新館オープン寸前(5/20オープン予定)の工事追い込みの状況だった。完成した折には再訪したい。

ドイツのお店の看板には統一感があり街並みとよく調和している。
その制約のあるなかでよく工夫されており、控えめながらそれぞれ個性を発揮しているので見ていて飽きない。

BMW本社、左は建設中の博物館新館
BMW本社、左は建設中の博物館新館

ミュニヘン三越の看板
ミュニヘン三越の看板

一方、道路標識は基本的にユニバーサルデザインで比較的大きく、はっきりとしたものが多い。特によく目に付いたものはアウトバーンなどの幹線道路から離脱する際の側道に建つ[Ausfart](出口)の大きな標識。

[Einfart](入口)の標識も同じように大きいがこちらの印象はなぜか薄い。また、行き先或いは分岐を示す道標も規則的に配置されており安心感がある。

主要なAusfartの手前には出口が近づくにつれ残りの距離を示す道標でカウントダウンが始まり、出口には地名の他に出口番号の標識もある。
これらの道標はよく整備されており、また地図ともよくマッチしていることから地図を頼りに十分ドイツ国内の移動は可能である…と我が優秀な(?)ナビゲーター氏は言っていた。

ミュンヘンからザルツブルクへは約130km
ミュンヘンからザルツブルクへは約130km

5月12日(金)晴れ

【行程;ミュンヘン市内⇒ミュンヘン国際空港⇒(空路)⇒成田空港(帰国)】

長いようで短かったドイツ旅行も今日が最終日。
風邪はすっかり良くなった。帰りの飛行機のなかは快適であることを期待。

「一度アウトバーンを走ってみたい。」から始まった今回の旅。
元々団体行動のグループツアーには馴染めない体質からか国内旅行でもあまりグループツアーを利用したことはない。
また本来の旅とは物見遊山的観光旅行ではなく、その土地(国)の気候風土に触れ、そこで暮らす人々の生活を垣間見るものとの持論もある。
今回、自分自身の手で車を駆ってドイツを旅行し、一部ではあるがその国土の拡がりと起伏を一本の道を通して連続した風景として見ることができた。また、その風景のなかには決して高名な観光地ではない名も無い道端の駐車スペースに、車を止めしばし見惚れた忘れられない景色もある。

ドイツは総じて田舎が良かった。
ドライブ旅行を展開するうえでの難易度の違いもさることながら、都市部とは違う雰囲気と町並みがそこにある。
特に今回黒い森地区(シュバルツバルト)を車で走りながら通り過ぎる、聞いたこともない小さな町を見る度に、車を止めて町を歩いてみたいという衝動に駆られた。
言い換えれば、地図を頼りに道に迷いながら暗中模索で続けた旅だからこそ偶然に巡り会えた町並みがいとおしい。
振り返ってみればドイツ人気質のよく表れた想像したとおりのドイツもあれば、以外と親切でフレンドリーな良い意味で想像を裏切られたドイツもあった。
また老齢の紳士、淑女の人々の顔を見ると民族は違えど日本にも居そうなおじいちゃん、おばあちゃんの顔立ちに似ている人も少なからず見かけた。
しゃべる言葉は違ってもドイツ人と日本人は性格的には近いような感じを受け、親近感を覚えた場面も多々あった。
今度来る時はもう少し馬力のある車でアウトバーンを疾走し、追越車線デビューを果たしたいとの思いを胸に機上の人となる。

さようならドイツ また来る日まで。(多根)

事故も無く無事ドイツ国内を走破できたことに感謝すると共に、今回のドライブ旅行を計画するにあたり快く相談に乗って頂き、最後に背中をポンと押して送り出して頂いた尾崎さん、福住さんにこの場を借りて厚く御礼申し上げます。

愛車?と私、遠景はノイシュバンシュタイン城
愛車?と私、遠景はノイシュバンシュタイン城

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