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海外ボランティアとなる

ウクライナ旅行記

(2007年7月)

ウクライナ
ウクライナ国旗
  • 首都:キエフ
  • 人口:4,711万人
  • 面積:60万3,700平方キロメートル
  • 言語:ウクライナ語
  • メモ:民族はウクライナ人(77.8%)、ロシア人(17.3%)

キエフ:6月30日(土)、7月1日(日)

ウクライナ空港の入国管理窓口は、到着便の状況を見ながら窓口の係員を増やしているようで、あまり待たずに通過することが出来た。ウェブサイトで得た情報では空港まで電車が来ているようだったので探してみるが、一向にその気配は無くどうやら先ずタクシーで空港に近い鉄道の駅へ行きそこから市街近くまで行き地下鉄に乗りかえなければならないらしい。面倒だし、時間も掛かりそうなのでタクシーを使うことに決めウロウロしているとタクシーのお兄さんが声をかけてきて50グリブナで行くよと誘ってきた。でも何となく不安になり空港内にあるタクシーカウンターへ行くことに決め、値段を聞くと250グリブナ(50ドル)。高いなとは思ったものの取敢えずそのカウンターで料金を先払いしタクシーに乗り込む。市内まで約40キロ。車の窓から見える景色は丘陵と緑が多い、なかなか落ち着いた町との印象。
キエフで滞在したホテルはドニプロホテルといって四つ星、一泊250ドルとかなり高い。フロントで先ず一揉め。個人客は宿泊料を事前に払わないと駄目だという。インターネットサイトからの予約であり、クレデイットカードでの支払いで良いはずと言うと、カードのパーソナルID番号を教えろとの要求。クレデイットカードでパーソナルIDを要求されたことは無いと突っぱねると、隣の係員と相談して、結局ID番号の件はそれでおしまい。チェックイン時点でクレデイットカードによる宿泊代のみの支払い手続きがなされ領収書も渡された。クレデイットカードでの支払いの場合はチェックイン時カードを提出し登録はするものの支払い(請求書のサイン)はチェックアウト時にするものだと思っていた私にはちょっとびっくりする応対であった。ホテルの従業員たちの対応や様子はいかにも旧ソ連流。つまり、客の意向などにはまったく頓着しないで、自分の都合のみで動く)
250ドルの部屋は狭く設備も古い部屋でとても値段に見合うものではなかった。空港からのタクシー料金といいホテル料金といい、かなり高く設定されているように思えた。

ホテルの近くの大きな通りでは、デモ隊が集会中で車の通行は止められデモ隊の周辺は大勢の警官で囲まれていた。写真を取っていると年配の奥さん連れのおじさんが英語で、キエフの景色はきれいだろうと皮肉たっぷりに声をかけてきた。こんな光景を外国人に撮られるのは心外だという感じであった。実は翌日(日曜日)も同じ場所で警官隊に囲まれたデモが行われていたが、このデモ隊の持っていた旗の色は前日のデモ隊の色と違っていたし前日と比べ演説の迫力もやや弱いように見えた。(土曜日が派手だったので大統領支持派、日曜日が地味だったので首相支持派のデモだったのではないかと勝手に推察)

キエフの中心街、独立広場のスケールは雄大でモダンな広場から見える教会や石造りの古い建物がうまく調和して非常に印象的。週末だったためか歩行者天国となっており広い道路(片道4車線位でその両側にかなり広い歩行者道が2レーンある)歩行者、自転車、インラインスケーター、大道芸人などで賑わっていた。マクドナルドのある前の広場では若者グループのストリートダンサーがパフォーマンスを行っており人だかりがしていた。ブランドショップが並ぶ通りを含め、商店街、地下街が並び、店のつくりも西欧の都市となんら変わらないよう様子であった。
夕食はカフェテリア方式のレストランで取る。カフェテリア方式ではあるが、入り口に手を洗う場所も備えられているなどなかなか立派で、中はレストランセクションと喫茶、ケーキセクションに分かれており生バンドも入っていた。夕食代は1ドル弱の大ジョッキビールを含め約450円。味も上々ですっかり気に入り翌日も来てしまった。しかし、2日目はレジでお釣りをごまかされてしまった。お釣りをごまかされるといえば、地下鉄の切符(ジュトンというコイン)を纏めて買ったときもお釣りをごまかされそうになりお釣りが足りないよと言ったら肩をすくめて返してくれた。博物館でも入場料をごまかそうとした係員に出会った。(30コペイクなのに3グリブナと言われた)たいした金額ではないがちょっといやな気分になると共に、この国の市民の生活は楽ではなさそうだと感じた。
観光都市としてのキエフは見所充分の魅力的な街で、教会を中心とする歴史的建造物や良く整備された公園から見えるドニエプル川の景色はまさに古き良きヨーロッパという感じであった。その日の午後は近くのを散歩、丘の上からケーブルカーでドニエプル川河畔まで下り地下鉄でホテルまで戻った。地下鉄料金は0.5グリブナ(10円)夕方、再度街に出て、聖ソフィア大聖堂のベルタワーに上り市街を一望する。大聖堂の前は大広場となっており、スピーカーからウクライナの民族音楽らしきものが流れつづけていた。

日曜日には別の丘の上にある公園へ行ってみたが公園内にある宮殿は公開はされておらず、ちょっぴり寂れている感じ。同じ公園内にある議会、ちょっぴり離れた場所にある大統領府とも物々しい警備は無く他のCIS諸国にくらべ意外。
翌日の日曜日、郊外にあるペチェルースカ修道院に行く。ペチェルースカ修道院へはキエフの中心街から地下鉄でペチェルースカ駅まで行き、後は歩こうと地下鉄の駅から歩き始めたのだが、観光案内らしきもの、ペチェルースカ修道院の方向を示す標識など一切無く、結局小一時間駅周辺を歩き回ることのなってしまったが日曜の朝、緑に包まれた町は静けさ、清潔さなど、建物、道路の古さを除けばアメリカの郊外の街と大差の無い光景であった。

ペチェルースカ大修道院は地下の洞窟にある墳墓を含め長い歴史を感じさせてくれた。(とても広く約6時間かけて見学)人々は蝋燭の灯りを頼りに狭い洞窟の通路脇に安置してあるお墓(というより法衣を着せられて棺に入っているミイラ?)に一つ一つ十字をきりながらお参りしていた。金色のドームが印象的な大聖堂、大鐘楼なども素晴らしかった。壁で囲まれた修道院のすぐ外側にある小さな教会を覘くと、中ではちょうど生後2〜3ヶ月の赤ちゃんの洗礼を行っているところであった。赤ちゃんは大きなボウルの水につけられると当然のことながらギャーギャーと泣き出し、お祖母ちゃんが差し出したタオルをお母さんが受け取りそれで赤ちゃんを神父から受け取って儀式はおしまい。周りの人々は微笑を浮かべて見守っていた。 ペチェルースカ大修道院からすぐ近くにある戦争博物館へ行く。広大な丘陵に巨大なモニュメントや、タンク、ヘリコプターなどが展示されている敷地はそのスケールの大きさに驚かされる。全てエクストララージサイズでスケールの大きいことはもしかして又ウクライナ的なことなのだろうか。

リボフ:7月2日(月)7月3日(火)

翌日はキエフから飛行機で約一時間ちょっとの古都リボフへ行く。
リボフへ行きたいと思った理由の一つは、ウズベキスタンで知り合った若いウクライナ人がリボフ伝統のコーヒーメーカー(といっても鉄製の湯沸しのようなもの)を餞別にくれ、それで作ったコーヒーがすごく美味しく印象に残ったということ。またウクライナの古都でロシア人の多い東ウクライナとは全く異なる西ウクライナを代表する町だと聞いていたためである。創造していた通り、リボフの旧市街は教会、市場、石作りの建物、城壁の跡など見るものには事欠かないところであった。市の中心街にある市場広場(リノック広場)から歩ける範囲内に、いくつもの教会、博物館、立派なオペラハウスがあるこじんまりした町で、路面電車がガタゴト走っている。メインストリートの中央には並木が続く広い歩行者道があり、木陰のベンチはこの町の人々と景観を楽しむには絶好の場所。

泊まったホテルはリボフではナンバーワンといわれるところで、アメリカ人の団体ツアー客と一緒になった。ニューヨークから来たという家族連れと話す機会があり、おじいさんの生まれ故郷を見るためにやってきたのだという。そう、アメリカ人は、皆ヨーロッパのどこかから新天地に渡った人達の子孫なのだということを改めて認識。ホテルはメーンストリートに面し、すぐ前の広場にはシェフチェンコ(詩人、サッカーの選手ではない)の像が建っている。リノック広場の中心に立つ市庁舎には時計台があり、そこからは町中が見わたせる上に、古い時計が時刻を告げるからくりも見られるというおまけ付き。町の中心にあるリボフ大学は大理石をふんだんに使ったなかなか立派な建物だが基本的にはCIS諸国にある国立大学と同じような建築物。

市内を歩いていると突然の夕立で約30分、土砂降りの中、旧ソ連国には何処でもあるサーカスで暫し雨宿り。坂の多いリボフの町の道路には忽ち小さな川が流れ始めた。キエフと同様ここでもビールを飲む人が目立った。ウクライナ人はビールをお茶と同じと思っているのかカフェでは、男も女も昼間からジョッキを傾けている。またビールのボトルを片手に散歩している人もよく見かける。リボフは小さな町なのでほぼ歩きつくしてしまったようだった。(テレビ塔の建つ丘の上にも登り町を一望。)リボフではウクライナ語中心で、ロシア語はあまり歓迎されないと聞いていたがロシア語でコミュニケーションをとることができた。外人観光客に対する市民の視線もあまり感じることは無かった。

オデッサ:7月4日(水)、5日(木)

リボフからオデッサへは直行便が無く、一旦キエフへ戻りキエフから
オデッサ行きの飛行機に乗り換える。キエフ空港の国内線カウンターはかなり混雑していた。チェックインカウンターには行き先の表示されるモニターが備え付けられていて進んでいるなと思ったが、モニターはタイムリーに使用されておらず、乗客の取扱い振り、効率の悪さは途上国並み。
港町オデッサのシンボル的なものはロシア映画戦艦ポチェムキンに登場する「ポチョムキンの階段」で、その先には桟橋があり国際航路を行き来する大型船(ルーマニア、トルコ、グルジア、ロシア航路)やレジャー用クルーザー等が係留された立派なハーバーがあった。桟橋には最近建てられたばかりと思われる大型のホテル、また桟橋の一角には教会もあった。ポチェムキンの階段の傍らには、無料のケーブルカーがあるなど観光設備としては整備されているようだった。階段の半ばの踊り場では、NATO加盟賛成というのぼり掲げて演説しているグループ、上段の方ではNATO加盟反対をいうのぼりのグループが演説していた。ウクライナの政情は混沌としている様子。

市内の交通機関はトロリーバス、路面電車が便利であったがかなり込んでいた。特にオデッサから8キロ先の海浜リゾート行きの路面電車は大変の混雑でドアが閉まらず最後の人が降りざるを得ないと言う東京のラッシュ並み。少年が二人、電車の連結器部分に座っていた。とても乗ることが出来ずにリゾート地見学は諦めた。トロリーバスも込んでいたがきちんと車掌が切符をチェックしていた。車掌の若い女性は全くの平服で乗務員とはぜんぜん気づかなかったほど。オデッサの町で3件の日本レストランを見かけた。加えて、普通のカフェでも寿司セットがメニューに入っているのに驚き早速試してみるとバクーの寿司(バクーの最高級ホテルで週一回出されるメニュー)と比べると軍配はオデッサ。やはり港町だからであろう。種類も多く、カリフォルニア巻き、からオリジナルな巻物まで結構楽しめた。周りの人も昼間からビールと寿司を楽しんでいた。

というわけでウクライナでは毎日暑かったこともあり昼、夜とビールの大ジョッキ1〜2杯を飲み続けることになってしまった。ちなみにビールは100円くらい。夕食代はビール込みで大体5ドルから高くても15ドル以下。トロリーバスは10円。 キエフのケーブルカーは10円。その代わりホテル代は2〜3万円、空港からのタクシ−料金は空港タクシーを使うと50ドル(キエフ)オデッサは35ドル。白タクならその3分の1くらい。どうも外国人からはふんだくろうと言うポリシーのように思えてしまう。ウクライナは美人が多いといわれていて、確かにスタイルの良いブロンド女性が目に付く。つい視線がそっちのほうに行ってしまうので、どうせならとカフェでビールを飲みながら3分間間で何人の美人が通るかを数え始めたとたん、人通りが減ったこともありこの試みはあえなく挫折。
オデッサではプーシキン文学博物館、文学博物館、西洋東洋美術館などを見たが、どれもあっという間に見学が出来てしまう規模で多少物足りいと感じた。文学博物館の庭は別料金を取っている割には何も無く狭いところで、なんとなく納得以下行かず入場券を売っている係員のおばさんに、「これだけか?」とたずねると博物館に見るものが一杯あるからとの返事が返ってきた。変な商業主義、金儲け主義で無ければいいのだがと、思った。

ホテルからオデッサ空港まで乗り合いバスで行こうと空港行き乗り合いバスの停車場を探したが結局見つからず、タクシで行くことにした。ホテルを通じると35ドルと書いてあったが町のタクシーは20ドルであった。キエフまでの飛行機はヤク42という旧ソ連の機種で100人乗り位。かなりの年代モノで機体の後部から括り付けの階段で降りるユニークな飛行機。 ウズベキスタンやタジキスタンでヤク40という超年代モノの40人乗りの同型機に何度か乗ったことを思い出した。事故率は結構高いらしい。でも無事キエフへ到着し2時間ほど待った後、強風の吹くバクー空港まで3時間で帰還。無事ランデイングすると乗客からいっせいに拍手が沸いた。そういえば、行きのキエフ空港到着時にランデイングしたときも拍手が沸いていましたっけ。(倭朗)

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