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海外ボランティアとなる

バクー便り…1〜3 | 4〜6 | 7〜9 | 10〜13 |

バクー便り 4〜6

アゼルバイジャン共和国
Republic of Azerbaijan
アゼルバイジャン共和国国旗
  • 首都:バクー
  • 人口:826万
  • 面積:8万6,600平方キロ
  • 言語:アゼルバイジャン語

バクーからの便りその4

(2006年1月)

2週間前の週末ごろ風邪を引いてしまい咳が出始めたため薬を買いに行きました。薬屋さんの数が多いのはCIS諸国共通のようで街中に薬局があります。大変親切に風邪薬、咳止めシロップに加えてビタミン剤(お湯に溶かして飲む)から喉の薬までくれました。ついでにマスクも買いました。(マスクはお医者さんのしているような大型のやつ)全部で800円くらいでした。旧ソ連の国々に薬局が多いのは病院施設が不十分なので皆、薬で病気を治すことが多いためと聞いたことがあります。

インフルエンザと言えば、鳥インフルエンザがアゼルバイジャンの隣国トルコで発生し問題になっています。(死者4名とか)アゼルバイジャンとトルコは地理的にも近く行き来も頻繁であり、庶民はかなり神経質になっているようです。(このところ鳥、卵は食べないとか、レストランでも鳥は出さないとか)しかし、アゼルバイジャン政府の公式見解は「アゼルバイジャンでは鳥インフルエンザは発生していない」と言うものです。現実には地方では鶏の焼却が行なわれており皆鳥を食べなくなっている状況なのにこのような対応なのです。
公式見解がそうである為、鳥インフルエンザに関する情報は殆ど発表されず、その代わり噂、口コミが広がっているようです。その結果、鶏肉、卵は70度以上の熱で調理すれば危険はない筈なのに皆全く鶏肉、卵を食べなくなっていると言う現象が起こっているようです。

情報を制限すると、とんでもない方向に世の中が進むという例かもしれません。(中国のサーズ騒ぎとかハルビンのベンゼン汚染とかも同じような状況になっているのではと想像してしまいます)
先週1週間バクーでは珍しく雪の日が続き数センチ積もりました。子供たちは(大人も)雪合戦でたのしそうでしたが、坂の多いバクーの道路は路面が凍った状態になり、通学に危険となった為、学校は数日休校になりました。
当然通勤も大変で皆困っていたようです。(車の数が激減。普段は道路の両側に駐車している車がなくなったせいか道路が非常に広く見えました。
ところで、バクーには駐車場と言うものがほとんどなくみな路上駐車です。
交通ルールを作る前に車社会が始まってしまった為のようです)

日曜日の午後にABTCのナミック副所長から電話があり今、バクー市内は停電のところが多いがそこは大丈夫かとたずねて来ました。私の住んでいるアパートは幸いにも停電にはなっていません。
でも寒さが増してきたこの頃、電気器具が通常通り動かなくなっています。例えば、電子レンジは通常の2〜3倍くらい時間がかかるようになりました。市内では停電も頻繁なようで、ガスも同じような傾向です。需要量の増加に供給が追いつかないのでしょう。バクー市内でこれですから、地方はもっと大変な状況なのかもしれません。
アゼルバイジャンの経済は、石油の値段が好調なこと、昨年グルジア経由トルコまでのパイプラインが完成したことなどから、基本的に好調で2006年の経済成長率は30%近くになると予測されています。インフレもかなりのレベルになりそうです。

しかし、暗雲も漂っています。昨年11月に経済開発大臣とその関係企業の経営者が突然逮捕されたことで、企業家の投資活動意欲が大いに殺がれる結果となっています。つまり、企業的、経済的に成功すると政治介入が生じ何が起こるかわからないという状況では、静かにしていたほうが得策と言う結論になります。取り敢えず様子見で一切新しい投資活動は取止めというムードになっているようです。政治介入は、もちろん権力とカネの争いからなのでしょうが、旧ソ連の官僚の性質として「俺の知らない所で知らないことが勝手に起こっている」状況は許し難いことなのだそうです。

このような旧ソ連官僚体質が変わらない限り発展は望めないと指摘する人もいます。アゼルバイジャンでは各大臣が堂々と自分の企業を経営しており、大臣としての特権を使って独占企業的に業界を牛耳っていると聞きます。このあたりを改善しない限り国としてバランスのとれた発展は困難かもしれません。
政府、各省庁はもちろん良いこともするのでしょうが、当然、悪いこともします。途上国の政府官庁について言えば、或いは悪いことをする(私利私欲で動く)場合のほうが多いのではないかと思ってしまいます。
勉強不足でわからないのですが、近代化を進めていた明治政府の頃の日本はこの点に関しどのような状況だったのでしょうか。
大いに興味のあるところです。このあたりを書いた本があれば読んでみたいと思いますので是非教えてください。

加藤倭朗

バクーからの便りその5

(2006年5月)

その1

先々週、バクーから約200キロ離れたグバという町に行ってきました。グバは2回目(去年の11月ABTCのジャバンシールデイレクターに車で有名な避暑地であるグバで美味しい地元料理をご馳走になりました)ですが今回は、バク−国立大学東洋学部日本語、日本文化学科の2年生8人と学科の講師である日本人女性立間先生と一緒でした。学生の一人のおばあちゃんが住む家に行きシャシリク(カバブ)を食べるのが主目的です。
私は日本語学科の学生に日本経済に関する講義をしたこともあり彼らとは顔見知りです。又、彼らにとっては日本語を喋るチャンスでもあり、アゼルバイジャン語を週2回習っている私にとってもアゼリ語を試すチャンスでもあります。
学生の一人がチャーターしたマイクロバス(フォード製、もちろん中古)でバクーを7時20分ごろに出発‐計画では7時出発、全くいつもと変わらぬアゼリタイムです−おばあちゃんの家には4時間半で着くとのこと。でも確か、バクー、グバ間は車で3時間位の筈(約200キロ)なんでそんなに時間がかかるのかちょっと疑問でした。

フォードのマイクロバスはかなり飛ばしてグバには2時間ちょっとで到着。グバの街中でおばあちゃんへのお土産などを買って出発。目的地までは22キロとのこと。あら、かなり早くついてしまうのではと心配しましたが、現実は全く心配無用。バクーからグバの町までは凸凹もあるが舗装道路でした。(グバには大統領の別荘があるため、バクーグバ間の道路はアゼルバイジャンで一番良いそうです)ところが、グバからおばあちゃんの家までは、ものすごい悪路で平均時速20キロ以下。
時間がかかる訳です。特に川を渡るのですが橋が無く文字通り浅瀬を車で渡る。地元の人がマイクロバスに乗り込み水先案内人みたいにここを渡れと指示してくれます。然し、11人を乗せたマイクロバスは、石ころだらけの川にはまり立ち往生。皆降りてマイクロバスを押しましたが脱出できず。通りがかりの車がワイヤーで引っ張ってくれたのですがこれも力足りず不成功。
どうなるのか心配に見ていましたが、学生たちはのんびりとしたもので誰も心配していない。そのうち、付近の農場の人がトラクターを持ってきてマイクロバスをワイヤーで引っ張るとものの見事にバスは川からの脱出成功。

なんとここの人は親切なのだろうと感心していたら、トラクターの運転手から費用(5万マナット約千円)を請求されたとのこと。それも外人が乗っていたので普通の2、3倍取られたとのことでした。私が、運転手に習いたてのアゼリ語で、お手伝い有難うございますと言ってしまったのが原因かも。何せ習ったばかりで使いたくしょうがなかったのですから。
無事、おばあちゃんのうちに着くとそこは本当に田舎で全く自然のまま。もちろん近くにお店なるものは無い。殆ど自給自足だそうです。何せ町まで10キロ以上あり、車があっても1時間くらいかかるし冬は雪で全くダメとのこと。

主要交通手段はどうやら馬のようでした。子供たちが、馬を乗りこなし暴れん坊将軍みたいに鞍無しの裸馬に乗って駆け回っていました。乗馬初心者の私としては全くうらやましい限りでした。
おばあちゃんの住んでいる集落は、お嫁さんがお医者さん、集落には学校もある(但し、机の数は7個しかない)と言う恵まれたところでその理由は、おじいちゃんが地域の有力者でこのあたり一帯の土地を所有していた地域の有力者だったためのようです。その後、ソ連政府によりおじいちゃんは捕らえられ殺されてしまった由。学校の無い付近の集落の子供たちは5キロも歩いて学校に通っているそうです。冬は本当に大変だと言うことです。
ここの人たちにとって、日本人はもちろん外国人は初めてのようで、子供たちは、家の陰からこっそりとこちらを眺めていました。近づくと隠れてしまう恥ずかしがりやさん達ででしたが、そのうちなれてきたようやく写真を撮ったり話すことが出来ました。
でも殆ど喋ってくれませんでした。
でも素朴で純粋で本当に子供らしい笑顔をカメラの収めることが出来ました。

近くの山道を散歩したりしているうちにカバブの準備が出来、バーベキューの開始。羊肉の美味しいこと!おばあちゃんと一緒に写真を撮ったり、古いアルバムを見せてもらったりして楽しい時間を過ごしました。付近の山々には、りんごの花や、梨、アプリコットの花が咲き本当にきれいでした。帰りは川も上手くわたることが出来無事バクーに到着。
気分晴れやかになれた一日でした。学生さんたち本当に有難う。マイクロバスやカバブの費用、それにトラクターの運転手に払った費用を少し負担しようと思って言ったのですが、アゼルバイジャンの伝統として受け取るわけ訳には行かないとのことで全てご馳走になってしまいました。

加藤倭朗

その2

先々週、バクーから約200キロ離れたグバという町に行ってきました。グバは2回目(去年の11月ABTCのジャバンシールデイレクターに車で有名な避暑地であるグバで美味しい地元料理をご馳走になりました)ですが今回は、バク−国立大学東洋学部日本語、日本文化学科の2年生8人と学科の講師である日本人女性立間先生と一緒でした。学生の一人のおばあちゃんが住む家に行きシャシリク(カバブ)を食べるのが主目的です。
私は日本語学科の学生に日本経済に関する講義をしたこともあり彼らとは顔見知りです。又、彼らにとっては日本語を喋るチャンスでもあり、アゼルバイジャン語を週2回習っている私にとってもアゼリ語を試すチャンスでもあります。
学生の一人がチャーターしたマイクロバス(フォード製、もちろん中古)でバクーを7時20分ごろに出発‐計画では7時出発、全くいつもと変わらぬアゼリタイムです−おばあちゃんの家には4時間半で着くとのこと。でも確か、バクー、グバ間は車で3時間位の筈(約200キロ)なんでそんなに時間がかかるのかちょっと疑問でした。

ここ1ヶ月間はかなり忙しい毎日でした。その理由は、4月29日から5月20日までの4週間、毎土曜日の10時から17時まで、当地の銀行トップ経営者を集めてアゼルバイジャンの銀行経営に関するフォーラムを開催することになったからです。フォーラムの参加者は商業銀行21行及び中央銀行で1行から複数の役員が参加しているケースもあり参加者数は25人程度でした。(アゼルバイジャンには現在44の商業銀行がありますが、このうち20行以上はある特定の企業、個人のために業務を行なっているポケットバンクといわれるもの)

このイベントはもともと企業経営者向け研修コースとして企画したものです。(欧米や日本のビジネススクールで行なっているエグゼキュテイブトレーニングプログラム或いはアドバンストマネジメントプログラムと言われるようなコースです)取り敢えずABTCとの関係が強い銀行業界向けのトップ経営者研修コースから始めてみようと言うことでスタートしました。当初このアイデアを持ち上げたときABTC(アゼルバイジャン銀行研修センター)のデイレクターは、大いに興味を示したのですが、一方、アゼルバイジャンでは初めての試みでもあり、失敗すると大変なことになると言っていろいろ相談して来ました。

2人で話し合った結果、当初8回の計画だったフォーラム開催日を4回に減らすこと、名称もトレーニングコースと名付けるとトップ経営者は来ないので別の名称に変更すること、参加者に中央銀行を加えることなどが決まりました。

何故トレーニングコースだとトップ経営者が参加しないのかというと、トップ経営者には研修など不要と言うプライド(特に部下との関係から)が強い為と説明されました。後でだんだん分かってきたのですが、当地のトップ経営者(実質上のトップはオーナー経営者ですが、形式上は、ドイツ、オランダの企業統治形式と同様、経営監視委員会会長や経営委員会会長がトップです)はワンマン経営者が大多数で、何から何まで自分で決め(小額の機材購入を含め)、権限の委譲は殆どしていないようです。

しかし、そのワンマンにしても会長にしても、新しい経営知識、手法、世界の銀行業界の流れは学びたいと言う気持ちは持っており、このような研修コースへのニーズは強いようです。そこで名称はフォーラムとし彼らが参加しやすくしました。日数については、銀行経営全般をそれなりに深く議論していくためには最低32時間(9週間)は必要と考えていたのですが、この点も、当地の実情から見て4週間(24時間)が限度ということで、土曜日、終日(6時間)x4日に短縮。フォーラムの中身も当初は具体的事例を中心に討議を進めていく方法(ケースデイスカッション方式)を考えていたのですが、ケースメソッドに不可欠な配布資料の事前通読は無理と言うことで、私とABTCのデイレクター(ジャバンシール氏)が各サブジェクトに付きプリゼンテーションを行いその後質疑応答や、討議を行なう方式としました。

参加者が経営問題を自分の目で探し、その真の原因を把握し対処を考えるというプロセスこそが経営者としてのトレーニングになると考えている私にとっては、この点は極めて重要で譲りがたかったのですが、結局ジャバンシールの意見に従うことになりました。確かに、ケース資料を事前に配布しても殆どが読まないと言うことは、当地の経営大学院でもそうです。私はカザール大学経営大学院で講座を持っています。当地の経営大学院生は社会人が殆どでクラスも夕方6時から9時までに夜間コ−スです。ケース資料コピーを1週間前に配布しても彼らは読んできません。どうやら授業と言うのは講師が講義しそれを聞く事により新しい知識を取得することが最大の目的と考えているようです。

組織、企業経営に関する限り、文字に書かれている知識(野中郁次郎氏の言う形式知)より文字に表せない知識(暗黙知)のほうが遥かに量は多いと考えている私は、従来、西欧先進国がCIS諸国などに経営者能力開発支援プログラムを通じて行なってきた経営者研修プログラムの手法に大きな疑問を持っています。短期間に多人数の研修をする為(研修プログラムの成果を数字で表すことが一般的に求められている)どうしても講義形式をとるワンパターンのプログラムが大半でこのやり方を従来から続けてきたと思われます。

勿論、CIS諸国は市場経済に関してはほぼゼロからの出発ですから、ソ連邦からの独立直後はこうした研修プログラムも意味はあったと思われます。但し、2-3日間で本当に役に立つ経営者の研修が出来るとは到底思われませんし、教えるほうも当初は外人専門家ですが、その後は、サステイナビリテイーと称して、短期の研修手法トレーニングを受けた現地コンサルタントがコースを担当するのですから、基本的に無理があります。彼らの殆どは、企業経営実務を経験していません。殆どが、英語ができる、できないで国際機関や先進国ドナー機関にリクルートされた、でも、優秀な人たちです。

ですから、講義はなかなか上手にこなしますし言葉の問題も全くないわけで、場合によっては、外国人専門家より評判の良い講義を行っている現地人講師も多くいるようです。
でも、彼らは、習ったこと、文字に表されていることは上手くこなせても、そうでない部分(様々な事例や各国企業の経験、具体的経営手法、成功例、失敗例など)は当然話すことが出来ませんしこれらの質問にたし答えることが出来ません。又時には大きな勘違いをしていることもあります。
言葉になかなか表せない暗黙知の部分こそが実際に役立つ経営者トレーニングを実現するために最も大事な点だと私は思っています。

然し、文字に表されていないことを伝えるのは簡単ではありません。ビジネススクールで開発され使われているケースメソッドは、この問題に対する一つの回答だと思います。
 所謂、形式知を習得することに加えて、暗黙知(スキル、知恵)――もっと具体的にいえば、問題の所在とその真の原因を見出し、それに対する複数の対処策を編み出しそれらを実行しながら必要な変更を加え現実の経営問題を解決していくと言うプロセスを効率的に行なう能力を身につける――を伝えていくことが、実際に役立つ経営者研修コースのためには不可欠ではないかと私は考えており、この線に沿った経営者研修プログラムの策定と実行を目指しています。
でも、このような研修を有効にするためには、研修参加者がその気になってくれないとだめだという現実があります。 つまり、自分自身で問題を発見しその解決法を考え実行するという経営者本来の仕事に気が付いてくれることが大切なのではないかと考えています。

今回のフォーラムでは、やはり、我々2人のプリゼンテーション時間が長く(特にジャンバンシールの講義時間が長く−彼は非常に優秀な勉強家でアゼルバイジャン中央銀行総裁の経験も持っているが、今までに身につけた研修手法をとっているため教科書的講義とならざるを得ない−フォーラムの趣旨である、参加者による質疑、討議の時間は殆ど無くなってしまいます。
彼のやり方は事前に完璧な資料(パワーポイント資料作成)を準備しそれに基づき流れるように講義を行なうというやり方です。私はどちらかと言うと語論が別の方向に展開した場合、準備した資料にはこだわらずに続けていきます。議論をする中で、参加者が自分の見方や考え方を、私や他の参加者とぶつけ合い、物の本質に迫っていく方向を目指しています。
このフォーラムで2人の役割はモデレーターと言うことになっています。
でも、ジャバンシールにとりモデレーターと言う役割は初めてで、なかなか私の期待通りにうごいてくれません。

彼も、私が準備資料どおりにきちんと進めないことに不満があるようです。知識を伝える、新しい皆の知らないことを教えることだけをやってきたものにとり、自分で問題を発見してその解決法を自分で探し出す能力を開発すること−これが経営能力であると私は考えています−がビジネスの実務上極めて重要なのだということを認識するのは、ある意味で辛いことかもしれません。何故なら今までに身に着けてきたことはその重要性が低まり、新たな知識や経験が必要になるからです。  然し、同時に彼らは今までの研修手法では本当に役に立つ経営者研修になっていないと言う実感も持っています。
今回のフォーラムを通して、私もジャバンシールも多くのことを学ぶことが出来たと思います。
CIS諸国、途上国の民間企業セクタ−振興はそう簡単ではないのでしょうが、我々の手法(日本のビジネスマンがやってきた手法)を中心にそれを現地の人に判りやすく解きほぐしながら伝えていくことが出来れば、それは極めて有効な手法であると言える気がしています。(2006年5月22日)

加藤倭朗

バクーからの便りその6

2006年7月

5月下旬に長男の結婚式のため帰国し、その後6月9から20日まで家内と一緒にオーストリア、スロバキア、ハンガリー、チェコを廻ったあとバクーに戻りました。ウイーンに4日、ブラチスラバに半日、ブタペストに3日、プラハに3日、チェスキープロムロフ(チェコ西部の中世城壁都市で世界遺産)に半日となかなか良い旅行でした。

よく街中を歩き廻り、地下鉄やバスに乗りドナウの観光船にも乗ったわりには、比較的ゆったりとした旅行が出来ました。でも、気分の悪かったことが二つ程ありました。

一つはブタペスト駅から市内のホテルまでのタクシーにぼられたこと。ブラペストへはウイーンからブラチスラバ経由(途中下車して約半日ブラチスラバ見物)の列車に乗ったのですが、ブタペストへ到着する前にハンガリーの観光業関連NGOのスタッフが列車内を回り、ブタペストの観光情報などを教えてくれたのですが、スタッフの方から駅から乗るタクシーには10ドル以上は払わないでくださいとの注意がありました。列車がブタペスト駅に着きホームに重い荷物を降ろしていると、帽子をかぶった男がタクシーの運転手だといって首にかけた写真入の身分証明書のようなものを示し我々の荷物を運び始めました。二人のバゲージはかなり重く運ぶのに大変だったこともあり彼の後に着きホームを出てそのままタクシーに乗り込みました。ホテルへ着くとメーターに表示されている料金を払ったのですが、ドルに直すと20ドル以上。後から考えるとメーターそのものがインチキだった様です。

二つ目は、プラハでの両替で、土曜日に100ドル、日曜日に500ドル市内の繁華街にある大きな両替屋(違う場所で両替したのですが同一会社のチェーン店のようでした)で両替したのですが、その交換レートがなんと店の前に掲げてある両替レート表示板に表示されているレートに比べ20%も悪いレートでした。土曜日は気がつかずにそのままチェコ通貨を受け取ったのですが、日曜日は金額も大きかったので、さすがに気付いて文句を言うと、両替レートはレシートに印刷されているレートが今日のレートだといって全く取合ってくれませんでした。なんと600ドル両替して120ドルの手数料を支払わされたのと同じことになりました。2件ともメーターとか、領収書に印字されているレートという具体的なものを示されるとこれに反論するのはかなり大変なこと、また反論しようにも言葉が通じない、あるいは通じない振りをされるとどうしようもない訳で、なんとも気分の悪い体験でした。

ところで、プラハ空港(ブタペストからプラハまでは飛行機)先進国並みのモダンな空港ですがで、わらわれの飛行機が到着した後、荷物が全然出てこなかったこと、それに対して係員が全く反応しなかったことが印象に残りました。チェコといえども、空港のハードウェアは新しくなっても空港係員のサービスというソフトウェアに関してはまだまだのようです。おそらく多くの飛行機が同時に到着して忙しかったのだと思いますが、我々の飛行機の乗客全員お荷物がいつまでたっても出てこず航空会社係員と掛け合ったりしましたがその対応振りはなんともイライラするもので結局一時間半以上待たされました。 でもこれらを除けば、ゆったりした良い東欧4カ国旅行でした。

6月19日の夜ウイーンを発ちバクーへ向かったのですが、到着時刻は予定より30分早く朝の3時。パスポートコントロールのビザ発行ブースは、到着時刻が予定より早かったためか誰も居らず、かなり待たされた挙句処理時間も大幅に掛かって約1時間半待たされました。やはり、発展途上国なのだなと実感しました。
 その後家内はバクーに2週間強滞在しましたが、現地の方々が親切にお世話してくれたお陰もあり、バクー市内を隅々見学した上、地方旅行に連れて行ってもらったり、結婚式に招待されたり等など、アゼルバイジャンを充分体験できたようです。

7月6日家内が帰国し、バクーでの暮らしが又始まっています。開発途上国での生活に戻るというのは結構精神的にしんどいもので、かなりネジを巻き直し自分を叱咤激励しないと帰国前のペースに戻れません。特に今回は、もとのペースに戻るのに時間が掛かったようです。

理由の一つは、2週間とはいえ家内がいてくれたおかげで食事の準備から開放されすっかりそれに慣れてしまったことでしょう。今はその有難みを噛み締める間も無く毎日キッチンへと向かっています。アゼルバイジャン料理は種類が極めて少ないのが難点です。それに毎日昼食は事務所(アゼルバイジャン銀行研修センター)の小さなキッチンで賄いのおばさんが作ってくれる地元料理(これも毎回相も変わらず同じものが出てきます)を食べていることもあり、夕食は外食より自炊がほとんどというパターンになっています。

もう一つの理由は、ここへ来て1年近く経ち仕事の面でも節目に差し掛かったことです。悪いところを含め、アゼルバイジャンがかなり分かってきたことから、あと一年どういう方向で動いていけばよいのか判らない状態に陥っているのでしょう。つまり、このまま今までのようにやっていて良いのだろうかと言う気がして気分が重たくなっていました。
というわけで、多少憂鬱な気分で此の所過ごしていましたが、7月下旬になって漸く以前のペースを取り戻しバクー便りも復活しました。

加藤倭朗

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